第61首
知識欲 旺盛だった父なれば
語り合いたし その後の世相
三年間の夫の海外勤務が終了
長男は中1
長女は小4
子供の進路については
日本を発つ前から考えていた
我が家の教育方針とは異なるので
通学可能な近くの高校は選択肢になかった
寮のある学校であれば
全国どこでも可能であったし
中高一貫校も視野に入れていた
しかし
赴任先の国の学校を
夫が選択肢に入れたときには
流石に驚いた
確かに不可能ではない
長男の意向が一番大事
家族会議が始まる
結果
寮のある私立校を4校選び
登録、面接、寮の見学
最終的には長男が
「日本人が一人もいない」
ことを理由に選んだプライベートカレッジに決める
その後の健康診断、留学生用のパスポートへの切り替え等
諸手続きは私の役目
電子辞書を片手に切り抜ける
夫の勤務先の条件が
「子供は現地の日本人学校へ通学させること」
であったため
長男の語学は上達していない
授業に支障が出ないよう
現地大学生を家庭教師につけ
半年間16:00から21:00まで
夕食中は家族ぐるみで
英語漬けの毎日
半年後長男を残し
3人で帰国する
2003年4月
毎週土曜日午前9時
長男との長距離電話連絡が始まる
(当時はKDDIコレクトコール)
それは長男が帰国して
大学生になっても続き
就職して
「もう独り立ちしたのだから電話連絡はしなくても良い」
と夫が告げても
長男は父親から知識を吸収することが面白いと
「まだまだ続けてよ」で途切れることなく続いた
1週空くのは
長男が帰宅している時だけ
2019年5月25日まで16年間続いた
5月25日の電話の後
夫は「もう次は無理かもしれない」と
病床から私に言った
そして その13日後旅立っていった
長男は今でも土曜日になると
落ち着かないことがあると言う
その後
父親との約束通り
母である私に
土曜日の電話は移行され
2020年12月
私が長男の近くに転居したことを以って終了する
一緒に暮らした時間は短かったけれど
凝縮された楽しい時間を
共有できた・・・
では、また
御機嫌よう